「Half-Life」というFPSゲームの名作は、「Counter Strike」や「Team Fortress」といった、ユーザーによって改造されたゲームが作られました。

Valveは、それらのゲームのライセンスを正規に取得する事で、熱心なユーザーたちに冷や水を浴びせかける事無く、さらに商業的な利益を生み出す事が出来ました。
作品文化は継続し、今でも「Half-Life」は「伝説的名作」として価値を保ち続けていると言えます。
この態度は、我々の「利益」についての認識について画期的な転向を示唆してくれます。
しかしながら今回、日本のゲーム業界が誇るグローバル企業のひとつ、スクウェア・エニックスは、大きな間違いを犯したように思われます。
「クロノトリガー」のファンらによって改変された、ファンが望む「続編」を、権利者であるスクウェア・エニックスは「正当な権利を主張して」葬り去ったのです。
なぜなのか。
自社が開発にあたった場合よりも安い金額でその「続編」のライセンスを取得するという選択肢をなぜ選ばなかったのか。
スーパーファミコンソフトの改変であるなら、バーチャルコンソールにて配信出来るでしょう。
開発者たちを、自社のリソースに出来たかもしれない。
自社で仕切り直した新しいプロジェクトチームに組織し直す事も出来たかもしれない。
そういった数々の可能性をすべて喜捨し、
プロプライエタリなコンテンツ権利ビジネスの勝者たらんとするように見えます。
スクウェアエニックスは、Valve社という先行事例をしらなかったのでしょうか。
あるいは、法務部の自立的な判断だけですべての対応を決めてしまっていたのでしょうか。
iPhoneアプリやLIVEArcade、WiiWareなど新しいプラットフォームに対して意欲的なのは良いですが、閉鎖的かつ過度に商業的な態度から新しい文化が生まれるとは思えません。
「物語を商売にする」という姿勢を全身から発散させているスクエニという企業にとって、物語世界と作品文化、ユーザーコミュニティはほぼ同義ではないでしょうか。
すべての価値の源泉がそこにある。
また、スクエニ工場から無尽蔵にRPG(物語)が生産され続けていることからも分かる通り、個別のタイトルというのは相対化してしまっている。
相対化した物語群に、物語たるアウラをまとわせるのは、プロプライエタリな自律的な企業努力ではなく、ユーザーを含めた環境的な仕組み(システム)なのではないか。
そう考えると、スクエニは、自社の商品価値を自ら破壊してしまったと言えるかもしれない。
少なくとも、何気なくこれまでうまくいってきた方法の通りに当たり前の対応をとってしまう事で、新しいビジネスへの可能性を失ったかもしれないのです。
幾分うがったモノの見方かも知れませんが、今回の事が既定路線として長く尾を引くようであればとても残念です。