2011年09月24日

完璧なメディアや完璧な仕組みなどない

別に政治家に限ったことではないのだが...
芸能人でも、サッカー選手でも、そのほか何でも。


政治家を「政治家だから」という理由でバカにしたり、メディアの話を真に受けてそっくりそのまま批判したりしている人たちが確実にいる。
中年・老人・学生・サラリーマン問わず、どんな世代のどんな立場の人達のなかにも、リテラシーが低く想像力の欠如した人たちというのはいるものである。

当然ながら、政治家だって人間である。政治家という職業についた、普通の人間である。その意味では、バカにする側とバカにされる側との間に何ら違いは無い。同じ人間である。
政治家にだって選挙権がある。ただ、被選挙権を行使して当選しただけのことである。
人の尺度、考え方、世界観などは人によってさまざまだ。
それが普通の人間というものだ。
あなたにはあなたの尺度があり、あなたの友人にはそのひとなりの尺度がある。
たぶんあなたの考え方と、あなたの友人の考え方は、結構近いと思う。なぜなら、友人なのだから。
たぶんあなたの考え方と、あなたの同僚の考え方は、結構近いと思う。なぜなら、同じ企業に就職するためにそれなりに近いライフコース、能力、方向性を持っていると言えるだろうから。

たぶんあなたの考え方と、政治家の考え方は、あまり近くないと思う。
なぜなら、政治家を簡単にバカにするあなたの友人や同僚には、政治家はいないし、政治家になろうとする人もいないだろうから。

あなたはテレビ画面に映る政治家の顔を見ながら「こいつは何にもわかってない」と思ったことは無いだろうか。
あなたもたぶん、何も分かってないのではないか。
分からないことについてとやかく言っても仕方ないのだ。

「政治家ちゃんとしろ」というのなら「主権者ちゃんとしろ」と言われなければ不公平である。
政治家は怠慢で、自分自身の役割をちゃんと果たしていないかもしれない。
あなたも怠慢で、自分自身の役割をちゃんと果たしていないかもしれない。

日本は議会制民主主義で、全国民が同じ部屋で話し合うわけにはいかないから、代表を選んで話し合うということになっている。
言うなれば政治家はポケットモンスターで、国民がポケモンマスターのようなものだ。
ポケモン同士がバトルするように、政治家同士が政治を行う訳だが、ここで忘れてはいけないのは、バトルの戦略を練るのはポケモンマスターで結果の責任もポケモンマスターが負うということだ。
政治について考えるのは私たち自身の仕事である。わたしたちの責任でもって政治は行われるものである。

だから、いつも自分のポケモンに対して「ピカチュウよ、おまえはちっとも分かってない。何をやってるんだ」なんて罵声や批判を浴びせるだけのひとは、ポケモンマスター失格なのである。
政治家に文句だけ言っている人は、怠惰で無責任なのである。

怠惰で無責任なのがいけないと言っているのではない。他の人の邪魔をしなければ、だまって自分を押し殺していてもいい。自分が損するだけなのだから。

いけないのは、怠惰で無責任なだけでなく、他の人の邪魔をすることだ。
深い考えもなく、首相辞めろ、大臣辞めろ、そういう風に誰か自分以外の者の政治を邪魔しようとするのであれば、怠惰で無責任なのはいけない。


これは政治に限った話ではない。
芸能人をバカにしたり、サッカーの監督の手腕に文句を言うのは勝手だ。ただしそれは「正しい」ことではない。正しい/間違いという考え方の外側の、単なる感想である。
あなたの感想を、あなた以外も全員同じように感じるべきだなんてことはない。

深い考えもなく、首相辞めろ、大臣辞めろ、そういうメディアの勝手な振る舞いは、それこそメディアの勝手だ。ただしそれは正しい/間違いという考え方の外側の、単なるメディアの脊髄反射である。
メディアの感想を、あなたまで同じように感じるべきだなんてことはない。


ちなみに、ここで言う「メディア」には、もちろんインターネットも含む。どの種類のメディアも、それぞれ一定の確からしさと一定の危うさを抱えている。
完璧なメディアなどない。私たちも、政治家も、完璧ではない。仕組みも完璧ではない。

だからこそ常に、完璧でないことを認める寛容さ、自分を疑う謙虚さ、他を疑う注意深さこそが重要なのだ。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 02:28 | Comment(0) | ビジョン

2010年01月04日

2010年の「ぽりったー」

もはや昨年の話になってしまいますが、09年12月28日に水道橋で、Twitter/インターネット/政治/選挙をテーマにしたトークイベントが催され、議員さん・首長さんが多数登壇されました。

12/28 年末緊急企画!「ツイッター議員との今年最後のつぶやき祭り」
http://twtvite.com/dn4vw8

僕も「Twitterと政治/ぽりったーhttp://politter.com)」の開発・運営者ってことでお呼ばれしまして、数分間スピーチをさせていただく機会に恵まれました。KNN神田さんに感謝!


>> 続きを読む

このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 15:51 | Comment(0) | ビジョン

2009年09月26日

「切り結ぶ」という考え方

955099_34315352_trim.jpg

切り結ぶ」とは、すごい表現だ。


三省堂 大辞林
きりむす・ぶ 4 0 【切(り)結ぶ/▼斬り結ぶ】(動バ五[四])

刀を打ち合わせて切り合う。
「打打(ちようちよう)発止と―・ぶ」
http://www.weblio.jp/content/%E5%88%87%E3%82%8A%E7%B5%90%E3%81%B6


斬り合いなのに「結ぶ」という和・交換・対話的なニュアンスが見出されていたのか。

道場での稽古、身内同士の鍛錬に端を発する言葉なのかもしれないが、
利害の対立するもの同士においてもこの言葉は使われている。
その場合、なんと建設的で健全な発想ではないか!

そもそも「切る」と「結ぶ」とは真逆のことだ。
「切ってから結ぶ」のではない。
切る+結ぶ」、「切る=結ぶ」ということなのだ。


別に日本語の優位性とかを強調したい訳ではないが、英語で「結ぶ」とは以下のようだ。

むすぶ【結ぶ】
T.
1 〔結わえる〕tie
なわを結んで縛る|tie upa box with a rope
帯を結ぶ|tie an obi
くつひもを結ぶ|tie a shoestring [shoelace]
髪にリボンを結ぶ|tie a ribbon in one's hair
2 〔2点をつなぐ〕join; connect; link
2点を結ぶ直線|a (straight) line that links two points
このバス路線は2都市を結んでいる|This bus route connects the two cities.
その橋は島と本土を結んでいる|The bridge joins the island to the mainland.
U.
1 〔関係を持つ〕
同盟を結ぶ|form an alliance with
縁を結ぶ|form a relationship with / 〔結婚する〕marry
彼らは愛情によって結ばれた|They were bound together by love.
両家は共通の利害関係によって結ばれている|These two families are allied by common interests.
彼はその悪党と結んで悪事の限りをつくした|He did all manner of evil things in league with that villain.
2 〔取り決める〕
契約を結ぶ|enter into a contract with; to do
協定を結ぶ|conclude an agreement
3 〔かたく閉じる〕
彼は唇をきっと結んでいた|His lips were tightly sealed [closed].
4 〔終わりとする〕
謝礼の言葉をもって演説を結んだ|He concluded [wound up] his speech with a few words of thanks.
5 〔結果などを生じる〕
実を結ぶ|⇒み(実)
夢を結ぶ|⇒ゆめ(夢)
6 〔凝結する〕
草に露が結んでいた|Dew formed on the grass.
Via:プログレッシブ英和辞典


英語の場合も日本語の「結ぶ」のイメージにかなり近似しているようだ。
英語で「切り結ぶ」と伝える為にはなんと表現すればいいのだろう。


「斬り合う」なんてことをするのは、所詮人間同士なのだ。
あるいは仮に人間と人間以外のものが対立するのだとしても(化学と自然など)、ある事柄を巡って対立する以上、結局のところ180度立ち位置が違うだけで同じ円周上に並べられるような親和性でつながっているのだ。

であれば「切る」は常に「結ぶ」と表裏一体、まさに「切っても切り離せない」不可分の出来事なのだ。
切る+結ぶ」、「切る=結ぶ」ということを念頭に置いておけば、随分いろいろなことがシンプルになるのではないだろうか。

喜びも悲しみも幾年月、というわけだ。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 11:54 | Comment(0) | ビジョン

2009年09月02日

Googleが発見した10の事実

2926717_500.jpg

Via ->
http://www.ryu2republic.jp/post/176325436/otsune-tohya-uessai-text-clipfork


1. ユーザーに焦点を絞れば、「結果」は自然に付いてくる。
2. 1つのことを極めて本当に上手くやるのが一番。
3. 遅いより速い方がいい。
4. ウェブでも民主主義は機能する。
5. 情報を探したくなるのは机に座っているときだけではない。
6. 悪事を働かなくても金儲けはできる。
7. 世の中の情報量は絶えず増え続けている。
8. 情報のニーズはすべての国境を越える。
9. スーツがなくても真剣に仕事はできる。
10.すばらしい、では足りない。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 17:06 | Comment(0) | ビジョン

2009年06月20日

速度管制技術としてのTwitter

先日、Twitterでの発言をmixi日記でほんの一言触れたのがきっかけで、
国会議員の方にコメントをもらってしまった。

インターネットすごい!
とまた思ったな。

てかTwitterというとんでもなくシンプルなツールがとんでもない可能性を持ってるんだなぁ。
ぶっちゃけ2年前はこんなのぜってーつまんねーと思ってたけど、ぼくのこういう予想は結構外れる。
椎名林檎のファーストシングルの広告を見たとき「何が歌舞伎町の女王だ。ぜってー売れねー」と思った。ナンバーガールも「なにが透明少女だ(以下略
注)どちらも今ではだいすきです(・ω・)

Twitterというツールも、時間と空間を圧縮する速度メディアの一つであると言える。
こういうメディア論的な考え方は、狭義の「メディア」だけにとどまらず、経済地理学や表象文化論、ポリティクス、リベラル・アーツにも波及する性質のものだ。

速度メディアとしてのTwitterのスピードは文字通りとんでもない速さだ。
人との距離というものが劇的に変わってきているのではないか。
コミュニケーションが加速して、出会いが頻発している。

速度メディアはすなわち速度管制技術であるから、メディアによって我々人間の速度のばらつきは一定の値に丸められ、我々ひとりひとりの個性のようなものがメディア固有の「型」に均質化されてしまう。

でも、ものすごいスピードの水準で均質化をはかるのがTwitterというメディアの特性らしい。
ここまで劇的な変化を経験するのはおそらく人生で(人類史上で?)そんなに無い事だと思う。
だから、いつものように新しいメディア、新しいパラダイムへと足を踏み出すのを怖がる必要は無いと思う。
だって、こんなにすごいんだから!
(別にTwitter社の回し者でもないんだけど。)


ま、簡単に一言で言えば、

「みんな同じ土俵、みんな同じスタートラインに立って生きてたんだよね、そもそも」

ということを決定的に突きつけてくるのだ。
これは大げさに言えば、色んな人に希望を与えてくれる。
衆議院議員とだって、有名企業経営者とだって、高名なハッカーとだって、つながってしまう。
とくに東京に住んでいる者同士であれば、より一層のリアリティがここにはある。
わずか数十分で、たぶん誰とでも会って話せる距離なんだ、という事を思い出させてくれる。


資本主義社会の猿たる我々は、このちっぽけな仕組みによってものすご〜いパラダイムシフトを経験しているんだと思います。

経済への波及はようわからんが、IranElectionの件を見れば明らかなように少なくとも政治への影響はすでに大きい。


もうそろそろ、国内のテレビや新聞でも「Twitter」って名前はでてきてるの?
今出てなかったらもうそういうメディアは捨てた方が良いと思う。

って、新聞社の対ネット観としては、これからmixi叩くのに忙しくて大変な時期なのかな?
いまんとこ読売とフジだけらしいけど。


こないだも警察の人と話した時、Twitter知らなくて2ちゃんねるのことと思われた。
日本はまだまだなのかねぇ

あ、ちなみにその警察の人と話すことになったきっかけの、方から、ひとこと謝罪のメッセージが来たよ。僕も悪かったなぁと思う点はあるけど、返事するのも野暮だと思いスルーしています。たぶんこれで一件落着なのだ。

ま良い事も悪い事も拡張されるってなもんだろう。道具っていう意味では。

これぞインターネット、されどインターネット。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 11:18 | Comment(0) | ビジョン

2009年06月08日

いま再び変わりつつあるインターネット

3602979252_5c82bdebf5.jpg
空港で、今、話題のTIME最新号を入手した。表紙はiPhoneで動くTwitterだ。今、この組み合わせが世界規模で大きな革命を起こしている。ご存知の通り、TIMEは技術誌ではなく、一般誌だが、その表紙にこの組み合わせが出てくるほど、このインパクトは大きい。果たして日本の一般メディアで、気概をもってこの革命をとりあげるところはあるか?
http://nobi.cocolog-nifty.com/nobilog2/2009/06/web-da1c.html

mixiにテレビで見たインフルエンザの話を日記に書くのも悪いとは言わないけどさ、
そういう人の考え方はもう通用しないんじゃないかな。

このエントリを読んで改めて、Web2.0ももはや完全に過去の思い出なんだなーと気づかされた。

Google Waveも発表された。
MSのBingはまぁ微妙だったけど、360の環境面での充実ぶりが面白い。Win7もある。
SonyのPSPgoはおそらく、iPhoneと同じ土俵に上がろうという決意だ。

これからだな、インターネット。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 14:15 | Comment(0) | ビジョン

2009年05月31日

果たす役割

なんつっても、Twitterがアツいかんじですね。

IT系の人間とそうでない人とでだいぶ受け取り方は違うかもしれないけど、
いずれ国内でもみんなが使うようになるんじゃないかな。

2年くらい前は正直ここまでのものになるとは全く思ってなかったけど、
事実は事実だから僕にはまだまだ先見性が足らなかったという事なんでしょう。


mixiは裾野の広い、専門性の低い、そういう出会いがあった一方で
Twitterは先鋭的な、専門性の高い、そういう出会いがありますわな。

2chは2chで存在意義というか、果たしてる役割があります。
他のサービスもそれぞれ、何らかの役割なり、貢献なりがあるように思います。

少なくとも、
ひとつひとつサービスに意味はなくとも、効果はある。
はず。


もうちょっとまじめに、筋の通った斬新なサービスを世に問うてみようかなと思ったり。

アイデアをまとめてると、
それを実行する身体がひとつしかないのが本当にもどかしく思えてきた。


ちなみにオルタナティブTwitterみたいなのもちょっとアイデアあるんだけど、まだきちんとまとめられてないです。

これはいけそう!ってデカイ企画があるにはあるので、やっぱもっと全うなことを、一生懸命やっていこう。。。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 00:47 | Comment(0) | ビジョン

2009年05月05日

mixiに飽きて、Twitterに走る理由

mixiにつきまして。

日記にコメントがつかなくなった!
絶望した!

S E T S U N A I ☆



とりあえずSNSよりはTwitterのほうがなんか良いというというところまでは、最近やっと理解した。

なんかTwitterにも今の形態よりももう一皮むけた形がありそうなんだけど、
でも確実に「攻殻」のようなリアルな未来に近いのはFacebookよりTwitterだと思われる。

「いま俺の考えを50万人の難民がリアルタイムで見ている」みたいなやつ。(うろおぼえ)


もちろんFacebook、MySpace的なものも永く使われていくだろうけどね。
mixiは、知らん。
単なる「インフラ」のようなコミュニティに後出しの機能拡張ばっかで付加価値つけてるだけだから、巨視的に見て相対価値が減じているのはおそらく間違いなさそう。


なんていうの、SNSって結局は基本的に掲示板のイメージだよね。掲示板+日記だよね。ブログではなく。
わりと固定的な「場」というか、データ的にも何となくスタティックで、われわれ人間の旧来的なメタファーの上になりたっているかんじ。
場所があって集う、みたいな。縄の内側と外側があるように感じられたり、あるいは交換日記でもしてるかのような錯覚。



そういうものが消えてなくなる積極的な理由は特にないと思うから、残っていくと思う。
でも、Twitterのほうが、ユルくて、しかも「近い」のだ。

より不定形で、より脱中心的で、よりネットワーク的で、より容易なのだ。

いまのところテレビや新聞でやいのやいの言われるほどいまいちポピュラーでもないのは、クライアント側の問題とか、ネットワークとの付き合い方とか、そういうのがボトルネックになっているだけだと思う。

先日も「パソコンはなくなる」だの「いやなくならない」だの「ちがうよバーカ」だのといった話題がちょっとした注目を集めていましたが、
そんなこんなで「充分にユビキタスな社会」が到来したら、mixiにぽちぽち日記書いてコミュニティで「健全な2ちゃんねるごっこ」するよりは、Twitterでつぶやいたりしてる方が自然だろう。

あとは「Xbox LIVE」的なものの存在。
そのへんのイメージは数年後、数十年後のわれわれにとっては渾然一体で不可分になってて、基本的な社会活動のインフラになってるかもしんない。

いや、そうじゃないと面白くないわけだが。




さて、フレンドからのコメントがつかないなら、もうSNSに日記書くメリットの半分は失われた感じだなー。

残りの半分は、ある程度の規模のSNSならそこから自サイトにトラフィック誘導してこれるっていうメリット。こちらはまぁアクティブなユーザーが残る限りメリットが担保されているわけだが。

そういう意味で、
mixiサーフ」的な、ソーシャルマーケティングみたいなものもまだ生き残っていくだろう。

むしろTwitter的な未来を補足しつつ、より大きな意味を持つ存在になっていくかもしんない。
いいかわるいかは、うーん。
よくわからない。
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 02:50 | Comment(0) | ビジョン

2007年12月23日

どこかで 誰かが 見てくれている

年の瀬ということもあって、
自分って結局、今年なにができたんだろう?
ということを考えています。

かなり長めのエントリなので、
同じく「今年ってどういう年だったのかなぁ〜」と一緒に振り返ってくださる方だけ、
お付き合いください。


■「客観的に価値を創出できたか、ということに意識が向かうべき」

なんといっても今年は骨折がでかかった。
今だから言えますが、搬送先の救急病院で「一生歩けなくなるよ」とか言われたときは相当つらいものがありました。
それでもなんとか足も回復し、仕事も失わずにやってこれました。

(おかげで総額100万が消えてしまいましたが。。。)

母も父も祖母も、なんだかんだありつつも結局無事に年を越すことが出来そうです。
これだけは本当に、神様がいるなら神様に感謝したい。

そんなこんなで
まさに命がけで運命に体当たりしてきた一年でしたが(わらい、
去年からお世話になっているカウンセラーさんとは
お話しする時間がほとんど持てませんでした。

皮肉なもので、生活が混乱して自分をケアする時間が必要になればなるほど
時間がもてなくなるという。。。


ためしにgoogleで「報われない」と検索してみると、

「努力は必ず報われる」とそのまま信じきった人には努力という主観に評価の基軸を置きがちです。信じ込んだ努力が報われない時、彼らは馬鹿にされた気分になり他人や世間の否定に走ります。
「努力は報われる時もあれば報われない時もある」。この現実を前向きに受け入れる人こそ、信念の人であり、リスクを取り、変化に柔軟になり、他人と社会に寛容になるのです。

という、適切な検索結果が得られました。
すげーな!

たぶんこれ以上の正解はないだろう!!



■ 報われない・伝わらない・理解されない

ちらっと触れたとおり、率直に言って公私ともにさんざんな一年でした。。。

こんなんだったのに厄年でないというところが、いまだに信じられない!


でもまぁ現実的な成果としては足踏みっぽくみえてしまっていても
自分に言い訳せずに努力してこれて、
水面下では何事かプラスの材料が育っているはずだと思っています。

決して後退しているわけではない、必ず前に進めていると信じているから、
今日もとりあえず腐らずに前向きに生きている!


さりとて、自分ではそう思っていても
全くそう感じられない状況に長くいると涙も出てこようというものです。

そこまでは強くないんだな、半人前フリーランスのこの僕は。。。
単なる言い訳なのでスルーしてください。


自分の思いよりも、周囲への感受性が勝ってしまうという点で、
本質的にはビジネス向きじゃないんだろうなぁと客観的に自己評価していますが
これもまさに自分への言い訳であって、
今まさに独り立ちしようという若者が口にしてよい言葉ではないと思っています。

そういう自分の生来の気質みたいなモノまでひっくるめて「自由」に活動できるのは、
もっと先のタイミングだと思っています。




■ 「自分に言い訳することだけは出来ない」

自分で言うのも何ですが、僕は人前ではかなり前向きなパーソネルとして、
全く恐れを知らないような素振りでいつも振る舞っているつもりです。

一言で言えば、「誰が見てもアホ」だとわかるようなスタンスです。

本心はどうあれ、そう振る舞うことで
結局リスクを最小化し
周囲から享受しうるメリットを最大化できると気付いたからです。


・アホだから、誰とでも仲良くなってしまおうとする
・アホだから、言いたいことを言っちゃう
・アホだから、むずかしい話はわかりませーんという振りをする
・アホだから、とりあえず全部笑いに変えておく
・アホだから、好意をかくさず、いやなことはなかったことにする


これが今年に至っては生存戦略にとどまらず
自分の本心がそういう「アホ」になりつつあって、
自分を曲げずにまっすぐ自由に生きていられるようになって、
やりたいこととやるべきことが概ね一致するようになりました。

しかし俯瞰的にみればこんな僕でも、
局所的に「報われない・伝わらない・理解されない」状況があまりに続くと
腐っていってしまうんだなぁと気付かされました。

どうやら自分がいくら強くなっても、それだけではどうしようもないということもあるらしい。



■ 誰かが見てくれている

たとえば左足を骨折して、最低でも一ヶ月は入院しなさいといわれてもそのまま仕事を続けていて、
ある日右足も捻挫してしまうということがありました。
そんな状態でも電車のなかでは、どれだけお願いしても、優先座席にすら座ることが出来なかった。
なるほどサラリーマンの皆さんは僕なんかよりも毎日大変で、電車で移動中で少しでも眠らないといけないからね。。。ってそんなわけあるか!!
とかなんとか、そういうことを乗り越えて、僕は大変心が強くなりました。


それでも、まだ自分一人の心の持ちようだけでは何ともできないことがある。

なんでそう思ったかというと、
いまの環境で、周りにたった2人だけ、理解を示してくれる人が現れたからです。

「僕は間違ってないと思うんです」というと、2人とも、
「大切なことだし、間違っていない」とおっしゃってくださいました。

たまたま同じ日にそういう話になったので、その日の僕の
「肩の荷が下りた」感はものすごかった!!

やっぱり理解があるって大切だ、1人で走り抜けられるほど僕は強くなかったんだなぁ、
まだまだヒヨッコだ、と気付かされました。

黙々とやっていれば「どこかで誰かが見てくれている」というのは
まさにこのことか、と思いました。
会社員時代にではなく、フリーランスになってからこのことに気付くというのも奇妙な話ですが。


そう考えれば、
今年僕は3人もの大切な出会いに恵まれました。
これが今年いちばんうれしかったことかもしれません。



■「毎日最低ひとり、新しい人と話す」ルール

完全に個人的なルールですが、僕は自分に「毎日最低ひとり、新しい人と話す」ルールを課しています。

骨折で完全に気落ちしていた頃などもあって「毎日」というわけにはいきませんでしたし、
すっかりそんなルールの存在を忘れていた時期もありましたが
それでも今年は100人くらいの新しい人と話し、知り合いになることが出来ました。


仲良くなりたい人と本当に仲良くなれたわけではないし、
むしろ最近は仲良くなりたい人が周りから去っていく傾向にあって、
僕みたいなフリーランスは結局、多くの人の人生のなかで一瞬すれ違っただけのエキストラ出演なんだろうなぁと思わされます。

「仲間」という言葉が、その言葉の真の意味で使われることはほとんどなく、
自分の利益のために便利に乱発されるばかりです。


そういえば11月だったか12月だったか、
女性の方から「人のためだけじゃなく、自分も幸せな方がいいよ」と言われました。

自分の幸せ、自分の利益、自分の仲間って何なんでしょうね。


新しく知り合った100人のうち、
5人ぐらいの人に嫌われてしまいました。
10人ぐらいの人とケンカしました。
30人ぐらいの人に、馬鹿にされました。
20人くらいの人と、いっぱい話して笑いました。
あんたは僕の立場とか理解しなきゃいけないだろう、という10人ぐらいの人には全く理解されず苦しみましたが、
かわりに3人、僕の心中を察してくれるくれる人がいました。

それで十分だったと思います。


努力した分報われたのかどうか、これではっきりします。

「努力は報われる時もあれば報われない時もある」。
まさにそのとおり。
良いときもあれば悪いときもある。

これで十分だと思えて、自分に言い訳せずにやっていけるのなら、
それでいいですよね。


いいですよね、というか、僕はそれでいいと思っています。
僕が思うのだから、間違いない。


そういえば以前、失望のあまり完全に腐っていた頃に
TACの経営者の方がこう言ってたよ。
メモしてあったんだけど、ずいぶん見返してなかった。

今の条件で出来ることを考える。毎日、真剣に。
自分の人生の大事は自分で決めるしかない。
会社を信じてはいけない。友人の言うことを信じてはいけない。親を信じてはいけない。
自分の頭で考えるしかない。


フリーランスになった今、この言葉はまた違った意味を持っている気がしてきます。

すべての物事を自分で決断しないと一歩たりとも前に進めない立場となった今、
すべての「自動的」なものがなくなった今、
あらゆる瞬間が僕にとっての「大事」なのだ。

自分の頭で考えるしかない。


その結果、自分の思いと他の誰かの思いとが一致することを待っていればいい。

3/100の確立で、自分の考えは理解されうるのだ。

報われるとか報われないとかは極端な話、どうでもいいのだ。

花の命は短い。
だから、自分に言い訳しないで
自分に納得できればいいんだろう。



花の命は短い。

目指していれば、たとえそのものにはなれなくても、近いところまではいける。

扉を叩けば、必ず道は開ける。

正常に動く時計を持たせてやれば、自然に未来へと視線が動く。

誰のためでもない、でも頑張るんだ。

時間かかんのが、いりえくんじゃん。

足の遅い者は、より着実に遠くすすむ。



ここ10年、僕を支え続けてくれた言葉です。


来年も懲りずにがんばるぉ!!(・ω・)

みなさんも良いお年を!

ちゃお!
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 16:55 | Comment(0) | ビジョン

2007年12月16日

フリーランスの焦り

だれでもみんなそうだよ、ということは置いておいて
(よくわからないので)、
自分に関してだけ言うと、
僕は良く焦ります。

持って生まれた性格というのもあるだろうし、
安定しないフリーランスという身分によって「マイペース」が脅かされるということもあるように思います。

いくつかのスキルをあわせもっていると
それなりに重宝がられますが、
スキルが豊富だからと言って個別の報酬が倍々になるかというともちろんそんなこともなく、
受け取るモノは、生み出し得た成果に対してのみ。

そういう意味では自分の身体はひとつであって、始終
すべてのスキルをフル活用できているわけでもありません。

でもスキルが広範囲にわたっているために
食いっぱぐれずに済んでいるとだけは言えます。
(みなさまありがとうございます。)


こないだ久しぶりに、自分の中のCGアニメーションのスキルを
すこし発揮する機会がありまして、
「このスキルはずっと眠らせていたなぁ」
「腐らせてしまわないように日に当てないと」
などと思いました。

個別のスキルのうち、いくつかのスキルはそのうち
アップデートが効かなくなってくるでしょう。
つまり、若くて新しい人たちが専業して発揮するスキルに、太刀打ちできなくなるという可能性です。

一方、新しく身につけていくスキル、
すでにあるスキルのうえに積み上げてゆくスキルというのもあります。
このへんは僕の場合、ActionScriptまわりで実感することが多いです。
ActionScript2.0から3.0へというのもそうだし、1.0をしっていたからliteにも壁はほとんど感じませんでした。
もともとActionScriptに抵抗がなかったのも、同じくMacromedia製品でタイムラインベースのDirector/Lingo(笑)に通じていたからだと思いますし、タイムラインに抵抗がなかったのは映画志望の学生時代やテレビ局時代のビデオ技術のおかげだとも思います。


今またプログラミングにおけるオブジェクト指向を身につけていく過程において、
これからのITでの仕事にいっそう道が開けた気がしています。


また他にも大切なことは、
複合的で全方位的な視点による恩恵というのもあるはずで、
技術や経験に裏打ちされたプロジェクトマネージメント、ディレクション、企画という面では
今まで行ってきている仕事の全てが役に立つと信じています。


「自分をアップデートしていく」というのは、すべてのIT技術者、すべてのビジネスマン、すべての大人にとって
切実な問題だと思います。
守ってくれる組織のないフリーランスにとっては、尚更。

「焦り」というのはスピード感の問題です。
どんなスピードで歩いていくべきなのか??

自分の歩むスピードが落ちていることに気付くことができなければ、
ビジネスから淘汰されてしまう。

逆に焦りすぎると、足がもつれたり、足下をすくわれたり、大切なことのプライオリティがわからなくなってしまったりします。

歩みを進める原動力にもなれば、
一方ではそれだけでは歩き続けられない。

ということは「何事もバランスだよね」という結論に至るわけですが、
んなことは誰でもわかってらぃ!!

でもそれがむずかしい。

いきなり骨折したり、
いきなり風邪引いたり、
がんばってもうまくいかなかったり、
ちっともわかってもらえなかったり、
思いもよらないところで傷ついてしまったり、
いろいろあるからなぁ。。。


でも今年わかったことがひとつだけあります。

「歩き続けることは大切だ」ってことです。

人生は短いし、花の命は短いけれど、
今だけでなく、長く歩き続けられることがものすごく大切なのだと気付きました。

文字通り歩けなくなってしまったり、
自分の想いが通じなかったりしたことで、
やっと気付いたという。。。
ちょっと遅いぐらいだが、まぁいい!

正直、瞬発力に欠けては誰にも負けない自信がありました。
それで切り抜けてきたし、それだけだという感じもします。

いわば瞬間的なモチベーションを異常に高く上げられるので、
特にシングルタスクにおいて成果を出しやすかった。

でもね、
長く歩き続けられないと、
自分にとって大切なもの、
自分の大切なこと、
自分にとって大切な人たち、
のことを守り続けてあげられない
んだと今では思います。


僕は人を幸せにするために仕事をしています。

仕事をするということの本質は、突き詰めればこれしかないとおもいます。

人を幸せにするためには、
今がんばるだけではだめなのです。

今から、明日も、ずーっと、がんばらなきゃいけないのです。


これはモチベーションに関する、僕なりの新しいフェーズです。

企業内で仕事を全うする多くの「サラリーマン」のみなさんにとっては
まず「長く続ける」ことが先にあって、
それから「密度を高める」「自分を高める」というのが普通なのでしょうが、

ぼくはジョブホッパーとして余計な苦労をしながらもキャリアを積み上げてきて
割と早い段階からフリーになったので、
この順序がもしかしたら逆なのかも知れません。
集団への帰属意識なしに自分のスキルだけに注目してきて、
それからようやく瞬発力だけではだめなのだと気付きました。

そう考えると、曲がりなりにも
今こうして普通に仕事を認められながら生きてこれていることが
ものすごく幸せのような気がしてきました!!


そんで、もっと自分を自由に、
人を幸せにして自分を幸せにしていける仕事をするには
やっぱり自分に素直に、
そして人の痛みをわかってあげられるようになるしかないですね!!


やっぱり人と人、
気持ちの問題です!!
このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by taichistereo at 19:53 | Comment(0) | ビジョン
Blog Widget by LinkWithin