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2014年10月01日
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2014年08月17日
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2011年10月01日
もしもしゲー、コピペゲー、コミュツール
すべてのコメントを読んでみると 当前ながら言葉足らずな部分や意味の汲み取りにくい部分が散見されますが、複数の人が忌憚なくゲーム観について語るうちに、高度で示唆に富んだ議論に発展しつつある萌芽のようなものが感じられました。
11.名無しさん:2011年09月29日 09:51
モンハンはコミュニケーションツール99.名無しさん:2011年09月29日 10:09
実際モンハンはグリーのゲームに近いとこにある
MMOやったことある奴なら
ハンターが考えてるよりも実はかなり浅瀬で遊んでることを知ってる101.名無しさん:2011年09月29日 10:09
ディスガイアみたいなコピペゲーはもしもしゲーと同じ臭いがする260.名無しさん:2011年09月29日 10:40
俺はマリオ遊ばないけどなんで評価されてるかってだいたい分かる気はするけどな。
単純明快であまり操作方法も深く理解しなくても遊べるレベルで、
ステージ数も十分なプレイ時間になるくらいの数が用意されてて、
値段なりの遊びは確実に提供してくれるであろう安心感とかじゃないの?281.名無しさん:2011年09月29日 10:43
>>260
これ読んで思ったのだがマリオともしもしゲー入れ替えても通じるな
任天堂ともしもしゲーって本質は同じなんだと再認識302.名無しさん:2011年09月29日 10:49
モンハン友達とプレイするだろうけど絶対にソロでのプレイ時間はあるよね
集会所以外も進めなきゃいけないよね?29.名無しさん:2011年09月29日 09:55
ポケモン
キャラ集めるだけの延々と同じ事の繰り返し、モンハンと近い79.名無しさん:2011年09月29日 10:05
同じことの繰り返しというパターンが
メーカーのお仕着せパターンしかやらない人は
その反復作業が合わないとそのゲームはつまらないと感じる
自分で新しい反復パターンを発見できるひとはそのゲームはおもしろいというだろう460.名無しさん:2011年09月29日 12:52
モンハンもポケモンもモッサリ作業してる気分で合わなかったけど
市場的にはモッサリしてるのは広く売れるポイントなのかも知れないと思ってきた461.名無しさん:2011年09月29日 12:55
ポケモンはああ見えてカードゲームだからな
デッキ(モンスターと技、特性、努力値)を組んで相手のデッキを読んで場に出す合わない人には合わない
それを知らない人にも合わない468.名無しさん:2011年09月29日 13:01
モンハンは1人でやってた時はなんでこんな難しいのが売れてるんだと謎だったが
知人3人ぐらいで集まってやると全く別ゲーレベルで面白くて売れてるのが理解できた476.名無しさん:2011年09月29日 13:15
マルチプレイが楽しいゲームてのは、『他人と一緒に遊ぶのが楽しい』だけで、そのゲームを敢えて遊び意味が無いと思うのは自分だけかね?
好きなゲームを、そのゲームが好きな他のユーザーと遊んでもっと楽しい、なら判るが、『ソロでは詰まらないがマルチは楽しい』ゲームは結局他人と遊ぶのが楽しいだけで、ゲームはやはり詰まらないんじゃ‥‥‥?487.名無しさん:2011年09月29日 13:34
モンハン嫌いな奴が多いな。
俺もだけど。510.名無しさん:2011年09月29日 14:22
モンハンの操作性挙げてる奴いるけど
あれは武器ごとに操作性ばらばらで操作を極めるまでに時間かかるから
長く続けられるところもあるからな
デモンズモンハンは単純にヘタで投げ出した奴が半分くらいいると思う537.名無しさん:2011年09月29日 17:02
モンハンを単純にゲームとして評価した場合、400万本の売上はあまりに謎
ゲームとしての地力は無名時代の50万本以下が妥当な評価
それが100万、200万、300万、400万とどんどん売上を伸ばしてるのは
「コミュツールとしてたまたま流行っただけ」としか分析しようがない
ソーシャルゲームも携帯ゲームもひろく言って「カジュアルゲーム」に分類されるもので、モンハンと同様、従来のゲーマーとは異なる層に支持され、新規ユーザー層を開拓して来たビジネスモデルです。
がしかし、ゲームというプロダクトからクリエイターが得るものは非常に多いと思っています。
数十億円まで膨らんだ開発費用で作られるようになった「ゲーム」は、かつて黎明期にそうであったように、再び少数のプログラマーの手で作られる「ゲーム」として新しく生まれ直しているとも考えられます。
大学生だって、面白いゲームを作れば億万長者になれるかもしれない。実際、かの有名な「チャリ走」などはそういったケースです。
であれば、ゲームの存在を軽視していいはずがないと思うのです。
2010年10月10日
サッカーの作戦ボードを自作してみた
2010年07月07日
ニンテンドーDSのピクトチャット機能をビジネスに活用(1)
というのもこの記事の内容は今から何年も前に書かれたアイデアメモで、
そのときは順に考えを深めていきながら実効性のある企画にしようと考えていたのでした。
ただ残念ながら、このアイデアを自分だけでは最後までツメきれませんでした。
企画未満のアイデアメモですが、このまま自分のハードディスクの肥やしにしているのも勿体ないので、どなたかの役に立つことを期待して、ここにメモのまま公開しようと思います。
このアイデアが、どなたかのところで水を与えられ花を咲かせることがあればいいなと思います!
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2010年04月18日
ソーシャルメディアと自分の「価値」の幻想
- 切り口
- 新鮮さ
- ベタ
鋭く想像を絶する「切り口」の価値は、ダウンタウンの漫才だ。鋭利な切り口を提示して人を振り向かせる。
いつ見てもその場ではじめて立ち生まれたかのような「新鮮さ」は、やすきよの漫才だ。生命力にあふれた「今・ここ」を提示して、人をその現場の証人にさせてしまう。
人が、なにかしら先端のプロでいるためには基本的にこういった「切り口」「新鮮さ」が勝負だ。
そうでなはなく職業、商品として成立するために必要のは「ベタ」の価値を真っ当になぞることだ。
これってたぶん、おおざっぱな分類なだけに、分かりやすくて当たってると思うんだよ。
ところが実際には、現実に通用している価値はこれだけではないようなのだ。
体育会系的・徒弟的にしたり、情報を隠蔽することによって、閉じた世界を構築され、本来存在しない価値がむりやり作られていたりする。
アカデミズムとか、スピリチュアルとか、マルチレベルマーケティングとか、職人/技術者とかの世界がそうだ。記者クラブとか業界団体もそういうもんだろう。
閉ざすことで、領域ができるわけだから、外界とのボーダー/エッジが出来る。
内側をピラミッドにしておけば、頂点が先端になってしまう。
こういうふうに考えると、もはや、世の中全部そうじゃねーのって気がしてくる。
起業しようぜ、団体作ろうぜ、ユニットつくろうぜ、一緒に面白いことやりましょう!てな具合に人が徒党を組みだしたら、自然と先端らしきものが出来てしまう。
他所からみればエラそうに見えても、世の中の「先端」ってけっこうあやしい。
何を信じればいいのやら。
結局その答えを自分ブランドとかそういう結論に求めるのが今の流行だ。自分だけの価値。ナンバーワンよりオンリーワン。ニッチなブルーオーシャン。フリーミアムをどんどん活用せよ。ソーシャルメディアで自分発信。
それはある意味正しいと思う。
ただ、この「自分ブランド」的な考え方って、セクショナリズムの究極でしかないのではないか。
しかも9.11以降の個人主義、ナショナリズムの台頭とも無縁だとは思えない。
セキュリティ=セクショナリズム、要するに自分さえ良ければいいっていう競争社会。
Twitterのゆるいつながりがすごく今有効なのは、こういう前提があるからじゃないかな。
傷つけたくない、傷つかない。
リアルタイム性そのものを消費することで、コンテンツやアーカイブという経時的・累積的な営為から開放されて、コミュニケーションが加速している。
でもソーシャルメディアのオープンさも、実はこういうセクショナリズムの問題とウラオモテなんじゃないかな。組織政治がどんどん高度になっていっているだけではないか。
「オープン」っていうのは、社会的なファンタジーではないのだろうか?
さっきの3つの価値分類を参照してみよう。
「自分ブランド」戦略っていうのは、
- 固有の「自分」に起因するから「切り口」の価値があるように見える
- 自分が生きている限り常に「新鮮さ」の価値があるように見える
- みんなおんなじ人間で親近感あるよね、っていう「ベタ」の価値があるように見える
そういう意味では完璧なのだ。
ソーシャルメディアが、この3つの側面すべてを促進しているのは間違いない。
Twitterでツイートする自分だけの切り口(鋭いこと言ってふぁぼられたい症候群)、リアルタイムの新鮮さ、それらをみんなで共有してベタになる安心感。
ただ、「自分ブランド」戦略がセクショナリズムの成れの果てなのだとしたら、
ソーシャルメディアの価値もかなりの部分、幻想に根っこがあるってことにならないだろうか?
ソーシャルメディアはオープンなので、閉ざされた世界の壁を駆逐していく?
ICTはすべてを見える化してしまえる?
Google的な者によって、すべてはインデックスされた情報になり、リアルタイムに利用可能になる?
でも、政治は無くならないと思う。
人間が個別の営為的な動物である限り。
2009年10月08日
「インスコ」の語源

Twitterで若い女の子が「インスコ」という言葉を使っていて、
なんでこんな中途半端な言葉が10年近く生き残って、継承されてしまっているんだろう?と気にななって、軽く調べてみました。
Q:「〜ソフトが動かないんですがどうすれば?」
A:「〜ソフトを入れてる?」
Q:「標準で入っていないんですか、どうすれば動きますか」
A:「普通にインストールコマンドで入れる」
Q:「インストールコマンドってなんですか?」
A:「おいおい、それくらい調べろ!!
普通に、適当なサイトでTarファイルをダウンロードして Tarで解凍後 makeコマンドでインストールするんだよ!」
ってな流れが度々起きたので
同じ解凍に飽き飽きした人が
「インスコ」しろ
これはUNIX系の makeコマンドの、make installのことでしょうか。
MS-DOSでも確かINSTALLコマンドがあったと思うのですが、その流れもあってのことかもしれません。
「2典」によると、
インスコ【いんすこ】[名・他スル]
「インストール」のこと。
タイプミスにより使われるようになった。
インストール
↓
インストゥール
↓
"トゥ"のTOとLUがごちゃごちゃになる (LとKを打ち間違えも)
↓
インスコール
うーむ。
・インストゥール
・インスコール
・インスコロール
いずれにせよ、2ちゃんねるを中心とした、国内インターネット初期の掲示板コミュニティに端を発するスラング(隠語)/言葉遊びの類いであることは間違い無さそうですね。
ちなみに、インスタレーションというと、現代美術の作品の形態を指します。
設置型というか、装置や空間そのものが作品であるようなものです。
うん、関係ないね。
2009年05月23日
古い考え方を捨てられなかったスクエニ
「Half-Life」というFPSゲームの名作は、「Counter Strike」や「Team Fortress」といった、ユーザーによって改造されたゲームが作られました。

Valveは、それらのゲームのライセンスを正規に取得する事で、熱心なユーザーたちに冷や水を浴びせかける事無く、さらに商業的な利益を生み出す事が出来ました。
作品文化は継続し、今でも「Half-Life」は「伝説的名作」として価値を保ち続けていると言えます。
この態度は、我々の「利益」についての認識について画期的な転向を示唆してくれます。
しかしながら今回、日本のゲーム業界が誇るグローバル企業のひとつ、スクウェア・エニックスは、大きな間違いを犯したように思われます。
「クロノトリガー」のファンらによって改変された、ファンが望む「続編」を、権利者であるスクウェア・エニックスは「正当な権利を主張して」葬り去ったのです。
なぜなのか。
自社が開発にあたった場合よりも安い金額でその「続編」のライセンスを取得するという選択肢をなぜ選ばなかったのか。
スーパーファミコンソフトの改変であるなら、バーチャルコンソールにて配信出来るでしょう。
開発者たちを、自社のリソースに出来たかもしれない。
自社で仕切り直した新しいプロジェクトチームに組織し直す事も出来たかもしれない。
そういった数々の可能性をすべて喜捨し、
プロプライエタリなコンテンツ権利ビジネスの勝者たらんとするように見えます。
スクウェアエニックスは、Valve社という先行事例をしらなかったのでしょうか。
あるいは、法務部の自立的な判断だけですべての対応を決めてしまっていたのでしょうか。
iPhoneアプリやLIVEArcade、WiiWareなど新しいプラットフォームに対して意欲的なのは良いですが、閉鎖的かつ過度に商業的な態度から新しい文化が生まれるとは思えません。
「物語を商売にする」という姿勢を全身から発散させているスクエニという企業にとって、物語世界と作品文化、ユーザーコミュニティはほぼ同義ではないでしょうか。
すべての価値の源泉がそこにある。
また、スクエニ工場から無尽蔵にRPG(物語)が生産され続けていることからも分かる通り、個別のタイトルというのは相対化してしまっている。
相対化した物語群に、物語たるアウラをまとわせるのは、プロプライエタリな自律的な企業努力ではなく、ユーザーを含めた環境的な仕組み(システム)なのではないか。
そう考えると、スクエニは、自社の商品価値を自ら破壊してしまったと言えるかもしれない。
少なくとも、何気なくこれまでうまくいってきた方法の通りに当たり前の対応をとってしまう事で、新しいビジネスへの可能性を失ったかもしれないのです。
幾分うがったモノの見方かも知れませんが、今回の事が既定路線として長く尾を引くようであればとても残念です。
2009年03月25日
「メールの件名」がいつも適当な人たち
バカなの?
**の?
クライアント名とかプロジェクトの略称とかだけを毎回同じように書かれても、まるっきり意味分かんないんだけど。
特に、やりとりの履歴を追う際に全部開いていかないとわからない。
しかも新規のメールのくせに平気で全然関係ないメールの返信として送ってきたり。
件名と内容が全然違うなんてありえない。
手抜きというより、わざと混乱させようとしてると言わざるを得ない。
さらにひどい場合は、件名に自分の名前とかね。
もちろん、出会って一番最初のメールなら、そういうこともある。
でも具体的な仕事の話しとかしてんのに、いつまで件名で自己紹介してんだよ!って軽くキレたくなる。
あと、あいさつとか。
件名があいさつって!
本文ではあいさつなし。。。?
どういう考えだそりゃ!
メーラーで、各メールをシングルクリックしたら自動で本文が下のほうのペインに表示されるひとはそれでもいいかもしれない。
でも、そんなひとばっかりじゃないんだよ!
あえてダブルクリックしないと開かないようにして、未読/既読をきちっとわけてる人もいるんだよ!
ってかそういうのはウイルス対策的にだめって2000年前後に盛んに言われてたよね?
そのころもあなた達は無思慮に適当な意識で仕事してたんだろーな!
熱くなりすぎましたが。。。
長過ぎない限りにおいて、
「件名は具体的であればあるほどよい」のは明らかです。
手を抜いているのを見ると、「手を抜いているな」と思います。当然ながら。
軽く見られているのだな、丸投げだな、自分さえ良ければいいんだな、人ではなく金のことを考えてるんだな、ロクな会社にいなかったんだろうな、ロクな仕事してこなかったんだろうな、頭悪いんだろうな、と思います。
2008年12月11日
文系クリエイターが、数学に興味を持つ
超弦理論(超ひも理論)とか谷山・志村予想とかのいきさつをネットで知って、なるほどこれが「数学」と呼ばれる分野か、とすこし納得した。
高校までの算数〜数学の、「おべんきょ」然としたやつは基礎の基礎、一般常識のレベルであって、常識に萌えるというのはまあ人間むずかしいよね。
そういう意味において、「趣味は数学です」なんてひとは、あんまり多くない。
でも、超ひも理論のドキュメンタリーとか見てたら「おお何かすげぇ〜!」とは思うわけ。たぶん、多くの人が。
数学者は、数学とどっぷり遊び、数学に萌えているんだろう。
数学によってスペースシャトルは飛ぶのだし、コンピュータも発達してきた。
数学の限界が、宇宙の限界だったりもするんではないかな?
一般に「現代の科学」とかざっくりと言っちゃうもののなかに、おそらく「数学」は埋没してるというか、門外漢からみればどっちも同じに見えてしまう。
そういう「数学とは」みたいな見識を得たいのと、数学という学問のこれまでの経緯についてひろく知っておきたい。
即実用ではないけれど、物事への洞察を深くし、人生を豊かにするチャンスのような気がするのだ。たぶん。
そして、プログラムの質も向上するといいんだがなー。
08年末〜09年始は数学の本を読みたいです。